雑記および拍手にてコメントいただいた方へのご返信用です。
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(1)かのみろ♀酔っ払い
聖戦後、巨蟹宮では金曜に食事会を開くのが定例と化していた。メンバーは固定で、宮の主であるデスマスクを筆頭に、年中組、ミロ、カノンの5人だ。機会があればサガやカミュが加わることもあるが、ほぼないと言って良かった。なぜならば、食事会はそのまま飲み会に切り替わることが多かったからだ。メインの食事など抜きで、最初から酒盛りを始めることもままあった。
唯一の紅一点であるミロは料理が壊滅的にできないため、もっぱら、食事を作るのはデスマスクの仕事だ。今日は、一昨日まで任務でチリに出払っていたカノンが大量のチリワインを土産に買って来たため、どうせ手の込んだ料理を作ったところで誰も食べないだろうという判断から、適当にチーズを盛りつけていたデスマスクの元へ、わずかに顔を赤くしたシュラがやって来た。
「手伝おう。」
デスマスクはいぶかしんでシュラを見つめた。元来、シュラは律儀でこのような場合裏方に気を遣う男だが、気心の知れた仲であるデスマスク相手にわざわざ気を遣うはずがない。いつもであれば、アフロディーテの話を聞きながら黙々と飲み続けているはずだ。無言で手伝いの理由を催促するデスマスクへぽつりとシュラが呟いた。
「珍しく、ミロが酔っている。」
「へえ、そりゃ珍しいな?一体どうしたんだ。」
ミロはかなり酒に強い方で、ざるとまではいかないものの、ワインボトル2本程度ではろくに酔わないはずだ。驚いて目を見開くデスマスクに、シュラが首を振った。
「アフロディーテが飲ませた。」
「何本?」
「今、4本目だ。何か腹に入れた方が良いだろう。」
つまり、手伝いとは建前で、シュラは可愛い妹分のためにつまみの催促をしに来たというわけだ。腑に落ちると同時にカチンときたデスマスクは、シュラへチーズの皿を勢いよく押しつけると、冷蔵庫の中を漁り始めた。
デスマスクが即席パエリアを手にリビングへ向かったときには、ミロはずいぶんご機嫌になっていた。昨日から親友のカミュが珍しく聖域に姿を見せていることもあって、いつもより過度に酒が進んでいるのだろう。
「お前、そんなに飲むとどっかの野郎に襲われるぞ。」
ミロを助けようとしてやぶへびで大量に飲まされたものか、少し据わった目でミロの唇を凝視しているカノンを揶揄してデスマスクが言えば、まったく自覚のないミロはからからと笑い声を上げた。
「何を言っている。この聖域で、蠍座の黄金聖闘士のミロを襲えるようなものがそういてたまるか。」
そう言うミロの口調は怪しい。
「意外といるんじゃねえのか?」
「はは、笑えない冗談だ。」
笑えない、と言いながらも、ミロはワイングラス片手に肩を揺らして馬鹿笑いしている。そもそも、冗談であるにしても、実力のほどを疑われた時点でミロが怒りださない事態は珍しい。デスマスクがちらりと視線を投げかけると、シュラが諦めた顔つきでテーブルの隅に寄せられたワインボトルを示した。
「お前ら、俺がいない間に10本も飲んだのか…。」
一般人なら急性アルコール中毒で死んでいてもおかしくない。いくら色々な意味で尋常離れした実力を誇る聖闘士が4人がかりとはいえ、酔い潰れて当然の量だ。どおりで、ミロの口調がおぼつかないわけである。
元凶となったアフロディーテはソファに顔を押しつけて寝息を立てている。
呆れを通り越して心配になって来たしらふのデスマスクの前で、ミロがワインをこぼしたのはそのときだった。ミロは一瞬わけがわからなかったのか眉根を寄せた後、ワインをこぼした自分にびっくりした様子でカノンに謝った。謝罪の言葉を受け入れるカノンも、腑に落ちない態度をしている。それもそのはずで、デスマスクも、本気を出せば光速で動くことの出来る黄金聖闘士がワインすら避けられなかった事実に驚くと同時に心から呆れ返った。しかも、こぼした場所が場所であるだけに、少し笑えた。
「お前ら、飲みすぎだ。外でちっと頭冷やして来い。」
手を引いて立たせてやったミロの身体はぐんにゃりしていた。酔っ払い特有のあの妙な重さだ。アルコールのせいで脈拍も速いし、熱っぽい。これでは、ろくに小宇宙も練れやしないだろう。一抹の不安を抱いたデスマスクは二人を宮の中庭へ追い出す際、ミロの背中をばしんと叩いた。
「くれぐれも襲われるんじゃねーぞ。」
「ははは、またその笑えない冗談か。」
「あんたは、大丈夫か?ほら、とりあえず、布巾。着替えがいるようなら持ってくるから言ってくれ。」
「ああ、すまん。」
両手で布巾を握り締めるしぐさは妙に稚拙でかわいらしいものだったが、筋肉ムキムキの大の大人がしたところでかわいいはずもない。デスマスクは目をぐるりと回すと、「何かあったら言え。」それだけ言い捨ててリビングへ戻った。
「大丈夫だろうか。」
開口一番、心配そうにシュラが言う。デスマスクは肩を竦めて、中庭の方角を見やった。初秋でまだ微妙に暑いため、すべての窓は解放してある。そのせいで中庭の会話はリビングにいるデスマスクたちに筒抜けだから、万が一何かが起こっても、大事に至る前に止めることは可能だろう。
何しろ良い子ちゃんで末っ子のミロは、女神を筆頭に教皇やサガに溺愛されている。いくら相手が、聖戦後黄金聖闘士筆頭の座にまで上り詰めたカノンであっても、巨蟹宮で何事かあろうものならば、事件を看過した事実で怒られるのは目に見えていた。
「カノン、すまない…。大丈夫か?俺が注意していれば…。」
「ああ、気にするな。避けられなかった俺にも責はある。」
「だが、染みになってしまうのではないか?」
珍しくうろたえた様子のミロと落ちつき払ったカノンの声にデスマスクはシュラへ頷いてみせた。
「あれ?私のミロは…?」
寝ぼけ眼をこすりながら、アフロディーテが問うてくる。ひとたび任務が絡めば麗しく咲き誇る孤高な薔薇も、私生活ではわりとだらしなかった。堅苦しい仕事の反動かもしれない。
「寝てろ。」
「ううーん…。でも、ミロが…、」
「布巾を貸せ。それでは落ちないだろう。」
「お、おい、ミロ。あまりぐいぐい拭くな。」
「というか、思ったのだが、濡れた服を身につけていて気持ち悪くないのか?誰もいないのだから脱いでしまえ。」
「止めろ、お前、勝手に人の服を脱が…、お、おい!ま、待て!!」
気になるのは、カノンの妙にとり乱した声の調子だ。再び眠りに落ちていくアフロディーテの相手をしてたデスマスクの脇腹をシュラが肘で突いた。
「デスマスク。」
「何だ?」
「確か、ミロが酒をこぼした場所は…、」
「ああ、カノンの股間直撃だったな。」
「大丈夫なのか?どうもミロは、カノンのジーンズを脱がしているようだが。」
「大丈夫じゃねえか?まさか、ミロだってカノンの下着まで脱がせねえだろうし。」
「?カミュと違う…これはどうなっているんだ?おい、手を離せ。それではちゃんと拭きとれないだろう。」
「離せるか、馬鹿!お前は俺を何だと思っている…!露出狂か?!」
「……デスマスク。」
「悪い。まさか野郎と二人きりでいるときに野郎の下着を脱がすくらいミロが常識外れだとは思わなかった。」
その後もシュラが無言で責めるように見つめてくるので、デスマスクは口を尖らせた。
「何だよ。そんな咎める眼すんじゃねえよ。お前だって同罪だろ?」
「だいたい、お前はカミュとどういう関係だ。何故、カミュのものを知っている!」
「そんなにおかしいことか?一緒に風呂に入っていたから、知っていて当然だろう?」
「それはいつの話だ…まさか最近か?!」
「10歳くらいまでの話だ。最近か?教皇だったサガに強制的に止めさせられた。」
「そういえば、そんなこともあったな。」
「なあ、だんだん腫れて来てないか?何だか熱くなってきているし…、病気なら
「ゴールデントライアングル!!!!!!!!!」
(2)ハロウィンレグカル
ハロウィン。
異教徒の祭りをするなど馬鹿げているとシジフォスはあまり良い顔をしないが、珍しく明るい顔つきで子供らしくはしゃぐサーシャとレグルスに何も言えない。
レグルスは厳格なケルトのサウィン祭りを教わって来たはずなのだが、どうも、世俗の「ハロウィン」の方が性に合っているらしく、せっかく享受されたサウィン祭りについてはすっかり忘れ去っている。
トリックオアトリートと言ってお菓子をせびってくる子ども二人に、急襲されたカルディアはりんごを押しつける。しかし、二人はそれでは納得できない。カルディアは仕方なしにポケットもひっくり返し、何もないので、とっておきのカルベラのところでせびってきた焼き菓子をサーシャに与える。ご満悦の笑みを浮かべて、シジフォスに良かったですねと言われる笑顔サーシャ。俺には何もないのかとほっぺを膨らませているレグルスに、カルディアは少し沈黙したあと、「ずりー。」呟き、「トリックオアトリート!」「えっ?」「だから、トリックオアトリート!俺には、何にもねーの?」カルディアはシジフォスがサーシャたち子どものために用意していたクッキーをせびり、となりにいたデジェルには非常食にもなるビスケットをもらい、サーシャからはマニゴルドから分けてもらったというかぼちゃのプリンをもらう。
レグルスに手を差しだすカルディア。しかし、レグルスはカルディアにあげるものが何もない。
「トリックオアトリート。お前何も持ってねーの?だったらいたずらさせろよ。」
カルディアは、無邪気に言ったのだが、これに対してレグルスが目を輝かせ「えっ、良いの?!」
墓穴を掘った。
(3)氷河ミロ
ミロが城戸邸にいる氷河のもとへ顔を出したのは、年が明けて間もなくのことだった。
与えられた客室の扉をノックする音に、何の気なしに、星矢か瞬あたりだろうと扉を開けた氷河はミロの姿を見て目を見開いた。アテナの護衛役として視察に付き従うことも間々あるとはいえ、ミロが聖域を出ることは滅多にない。黄金聖闘士は守護する宮に常にいるべきだという信念を持つミロは、親友の居るシベリアにも数えるほどしか顔を出したことがなかった。
それに、ミロの恰好もある。これまで氷河は、黄金聖衣か修行着、シベリア訪問時の厚手のコート姿、護衛役としてのスーツ姿のミロしか見たことがなかったので、ダウンジャケットにジーンズというラフな格好のミロに驚きを隠しきれなかった。
「突然、すまない。元気でやっているか?」
「あ、ああ。あなたの方こそ、元気そうで良かった。それにしても、どうしたんだ、ミロ?」
驚きながらも室内へ迎え入れようとする氷河を、ミロは頭を振って制止した。
「アテナの護衛として来日したのだが、今日は星矢や瞬と気兼ねなく過ごしたいらしくてな。一日、休暇を頂戴したのだ。」
「そうなのか。」
「まあ、あいつらがいれば、アテナは安全だろう。俺も水を差したくはない。」
今回、ミロが沙織の護衛役として来日していた事実すら知らなかった氷河は、ミロの説明にようやく納得した。沙織たちは、シベリアから出てきた氷河に、誰が護衛役なのかあえて教える必要性を感じなかったのだろう。氷河は氷河で、珍しく沙織が屋敷に滞在しているのは瞬から聞き及んでいたが、アイオリアかシュラが護衛につくケースが多く、氷河の親交があるカミュやミロは滅多に持ち場から離れないため、たいして興味を持たなかったのだ。
ミロはそんな氷河の様子を面白そうに眺めていたが、にっこり人好きのする笑みを浮かべた。
「ところで、お前、もう今日は予定が入っているのか?」
一瞬、氷河は今日しようと思っていたことを脳裏に思い浮かべた。本当に、一瞬だけだった。今日絶対にしなければならないことがないことを確認すると、氷河は首を振ってみせた。ミロには尽きせぬ恩義があった。それを抜きにしても、氷河はミロといたかったのだ。
1時間後、氷河はミロと東京の観光地巡りをしていた。ミロが観光をしたいと言ったからだ。何でも、最近、ミロは沙織の母国である日本に興味を抱き、日本語の勉強も始めたらしい。沙織に生真面目な敬慕を注ぐミロらしい話に、氷河の心は温かくなった。氷河はそんなミロを心から愛していた。
とはいえ、半分は母国とはいえ、聖闘士になるための修行に明け暮れ、シベリアに居を構える氷河も、日本の観光地には明るくはない。氷河は書店で観光雑誌を購入すると、ミロが興味を持ちそうな場所を何箇所か見つくろった。寺院メインになったのは、他国の神を見てみたい、とミロが横から口を挟んだからだ。
最初に向かったのは、浅草だった。外国人向けの観光地として有名な場所だが、氷河も実際に足を運ぶのは初めてだ。
この日、東京にしては珍しく降雪の予報が出ており、空には厚い雲が立ち込めていた。灰色を含んだ白い空の下、平日ということもあって人の往来が少ない寺院は、厳粛ながら親しみやすさも感じさせる、独特な雰囲気を醸し出していた。道すがら通りすがる人々の大半は、年配者か、観光中と思しき外国人で、観光地らしく確かに活気はあるのだが、東京の喧騒とは隔絶されているように思われた。
テレビでよく見かけることもあり、正直、そんなに期待はしていなかった氷河は、浅草の様子に目を奪われた。浅草は、想像以上に、ノスタルジックな場所だった。実際の日本は近代化が進んでいることを承知している氷河でも、思わず、古き良き日本の風景に目が釘づけになった。
「ギリシャ以外にも、このような場所があるのか。さすがは、アテナが住まわれる国だ。」
隣のミロも、目を輝かせている。氷河もミロも金髪なので、傍から見れば完全に海外からの観光客だろう。氷河は内心苦笑を禁じ得なかったが、それ以上に、本心から来て良かったと思った。もっとも、ミロに請われれば、氷河はどこにでも飛んでいくつもりだったのだが、それを口にするだけの浅慮も勇気も持ち合わせがなかった。
有名な雷門の前に来たとき、記念撮影をしたいといってミロがカメラを取り出した。シャカに自慢するらしい。
「あの、シャカか?」
「そうだ。出不精なあいつはきっと羨ましがるだろうから、沢山写真を撮っていって見せてつけてやろう。」
ミロが笑う。ミロが何のてらいもなく、根が生えたように処女宮から動こうとしないシャカのことをからかうので、氷河はびっくりした。シャカは、とうてい人づきあいが良いタイプではなかったからだ。カミュの話では、ミロはあのカノンとも誰より仲良くやっているというので、氷河が思っていた以上に、ミロは人づきあいが巧いのだろう。
ミロはどちらかというと直情型だが、アイオリアのように熱意に振り回されるだけの男ではない。自らの非を認めるだけの器量も持ち合わせている。黄金聖闘士としてのプライドが誰よりも高く、理想に添うよう自分のみならず周囲にも強いる点が厄介といえば厄介ではあったが、カミュによって聖闘士の生きざまを叩き込まれた氷河には、詭弁を弄せず行動で信念を示すミロの態度がかえって清々しく感じられるのだった。
「オレが撮ろう。」
申し出る氷河に、ミロが快活に笑った。
「駄目だ。こういう写真はみなで撮るものなのだろう。お前も映るが良い、氷河。」
ミロはそう言うなり、近くの人を掴まえに行ってしまった。日本語のわかる氷河に撮影者の確保を任せるなど、考えもしなかったらしい。氷河は一瞬あっけにとられたものの、身ぶり手ぶりのカタコトで撮影の依頼をしているミロの成果を待つことにした。
足早に進んでいったミロは、売店員を見つけると、目を輝かせた。歩調に合わせて、ふわりふわりとくせ毛が跳ねる。
こうして観察していると、氷河は改めて思い知らされる事実があった。ミロには、威圧的なまでの存在感があるのだ。男にしては珍しいほど長い金髪に、ほどよく日焼けした金色の肌、目鼻立ちのはっきりした端正な顔立ちも要因の一部だろう。しかし、それだけではない何かが、ミロにはあった。
氷河が師と仰ぐカミュも人目を引く男だ。美しく燃える赤毛と、対照的に、静けさを孕んだ冷たい雰囲気と美貌が、異性の心を捉えて止まないことを氷河は知っている。他の黄金聖闘士にしてもそうだ。黄金聖闘士はみな、浮世離れした存在感の持ち主ばかりだった。
しかし、その中にあっても、ミロの持つ雰囲気はどこか変わっていた。生と死を守護する蠍座の黄金聖闘士だからか、二面性のようなものがあった。真面目な表情のときは冷たさなすら覚えるほど鋭利な目も、ひとたび笑えば騒々しいまでの陽気さを湛え、人懐こく見えた。くるくる変わる表情は、否応なしに人々を惹きつけた。まるで、鮮やかな夏日のように。
白に覆い尽くされたシベリアに住んでいるので、なおさら、惹きつけられるのだろうか。
そんなことを考えている間にも、ミロは無事交渉を成功させたらしい。満面の笑みで手を振りながら戻って来た。後ろを歩く売店員も、手慣れた様子でミロのカメラを弄りながら近づいてくる。
それから、観光地に行くたびに、ミロは写真を撮りたがった。シャカに自慢するだけではなく、勉強の一環として、アルバムにして取っておくのだそうだ。
氷河には、カメラを向けられて、年相応にピースするミロが新鮮だった。師が懇意ということもあり、ミロのことは幼少期から見知っていたが、サガの乱のときの天蠍宮での応酬と真摯に黄金聖闘士であろうとする姿勢が鮮烈で、ミロも氷河と同じ人間だという事実を忘れてしまうことが間々あった。
だから、無造作に肩を抱き込まれたときははっとした。
ミロのくせ毛が首筋をくすぐる感触に、無意識のうちに息を止めた氷河は顔を赤らめ、視線を落とした。これがミロにとって何の意味も持たない行動であることは、氷河にもわかっていた。ミロにしてみれば、氷河は親友の弟子で、導くべき青銅聖闘士の一人でしかない。そんなことは、重々承知だった。
無頓着にミロが笑う。
「ほら、氷河も笑え。」
そのとき、氷河の中でふいに沸き起こったのは、憤りと焦燥感だった。
氷河はミロが考えているような子どもではない。清廉潔白な聖闘士でもない。否応なしにミロに惹きつけられるただの男だ。幼少期に出逢ったときから慕ってはいたが、天蠍宮で認められた5年前から浅ましい欲を覚えるようになり、氷河は自分の抱く感情の終着点を見た。
もちろん、氷河はずいぶん悩んだ。聖域に籠っているため滅多に会う機会のないミロを神格化する一方で、浅ましい情欲の捌け口にしてしまう現実に辟易して、ガールフレンドを作ってみたこともある。しかし、毎回判を押したように、ガールフレンドが黄みの強いブロンディだという事実を瞬に指摘されてからは、逃避する努力も放棄し、報われずともミロを慕い続ける道を選んでいた。
口にするつもりも、見返りを求める気もなかった。
だが、少しくらい困らせてやっても良いだろう。
「ミロ、」
「む?何だ、氷河。」
観光巡りを開始した時刻が遅かったこともあり、すでに夕闇が迫りつつあった。空からは今にも雪が降り出しそうだ。そうすれば、交通手段にも支障が出る。聖闘士の自分たちが雪や電車の遅延ごときで困ることはないが、一般人にならって、帰るならば早い方が良い。
氷河は脳裏で言い訳を並べながら、ミロの耳元に囁いた。
『月が綺麗ですね。』
共通言語であるギリシャ語ではなく日本語、それも、夏目漱石の意訳にしたのは、本心では想いを告げるつもりがなかったからだ。
「は?月?」
氷河の台詞に、呆気に取られた様子でミロが瞬きをする。
その瞬間、ストロボが光った。
氷河は撮影してくれた善意の通行人からカメラを受け取ると、不可解そうに空を見上げるミロを振り仰いだ。当然、月など照っていない。頭上には雪雲が広がるばかりだ。氷河は口端を緩めると、いまだ首を傾げているミロへカメラを差し出した。
「もうそろそろ雪になりそうだ。交通機関が麻痺する前に帰ろう。」
記念に、最後の写真くらいはもらっても良いだろう。目を見開いてきょとんとしているミロの写真を卓上に飾ることを思って、今度こそ、氷河は笑った。ミロにささやかな意趣返しができて満足だったが、それでも、胸の痛みは隠しきれなかった。
*
広大な面積を誇る城戸邸には、グループ総帥の沙織が生活をする本館とは別に、聖闘士が滞在するための特別棟がある。もっぱら沙織の護衛としてやってきた黄金聖闘士が日本に滞在するとき利用する場所なのだが、幼いころから沙織を知っている星矢や紫龍は特別に滞在を許されている。
その週、珍しく氷河は帰国していた。誕生日のある週なので、沙織にぜひ城戸邸に滞在するよう勧められたのだ。
今は聖域に拠点を移したカミュの代わりにシベリアにいる氷河も、日本に来たときは、基本的に、この特別棟を利用している。腹違いの兄弟がいて話に事欠かないのも理由の一つだが、カミュやミロといった親交のある黄金聖闘士に会える可能性があるからだ。もっとも、ごくまれに、デスマスクやサガと出くわしてしまい、ひどくばつの悪い思いをすることもあるのだが。
聖戦までは「外」育ちの青銅聖闘士にすぎず、シベリア在住ということもあって聖域事情に明るくなかった氷河は、聖域に顔を出すようになってから、聖闘士がみな、一般人とは異なる理由から誕生日を重んじている事実に気づかされた。
誕生日はすなわち守護星座に通じる。
聖闘士たちは、誕生日に、生まれてきたことやこれまで生き延びたことではなく、星の加護の下に生まれたことを祝った。サガの乱や聖戦を経て、聖域でも薄れつつある伝統だったが、黄金聖闘士はいまだ誕生祝いに重きを置く傾向にあった。
だから、もしかしたら、あの人に会えるかもしれないと思ったのだ。
時計が0時を回ると同時にノックの音が響き、もの思いに耽っていた氷河ははっと顔を上げた。いつになく興奮していたのは、20歳の誕生日だったせいだろう。もしかすると、という希望が先だって、考える前に扉を開けていた。
「おめでとう、誕生日氷河!これ、ぼくから。」
訪問者は、瞬だった。神の依り代になった過去を持つ瞬は、城戸邸本館の一角に個室を与えられ、そこで暮らしているのだが、朝まで待ち切れず飛び出して来たらしい。安堵すると同時に、落胆も覚えた。礼儀を重んじるあの人が、こんな夜更けに訪問することはないとわかってはいるのだが。氷河の胸中など露知らず、瞬はにこにこ笑いながら、大きな紙包みを押しつけてきた。
「ほら、早く開けてみてよ!」
弾む声が、瞬の気持ちを伝えている。瞬の気遣いをむげにできず、氷河は口端に小さな笑みをたたえると、急かされるまま紙包みを解いた。
「あっちは寒そうだから、ジャケットにしてみたんだ!」
瞬はそう言うと、内側に毛皮が縫い込まれた暖かそうなレザージャケットを氷河の身体に当て、自分の見立てに狂いはなかった、と得意そうに頷いてみせた。
「今日、沙織さんはパーティーを企画しているみたい。もう聞いた?」
「辰巳さんから少しだけな。予定を開けておくように言われた。」
「辰巳さんらしいや。氷河も覚悟しておいた方が良いよ。ぼくのときは、本当に盛大にやったから。」
数ヶ月前の20歳の誕生日を思い返したのか、瞬は気恥ずかしそうに、鈴の音のような笑い声を立てた。まるで無垢な子供のそれだ。氷河と1年に満たない年齢差だというのに、瞬はいつも軽やかに微笑う。その笑声を耳にするたびに、氷河には、ハーデスが現世の肉体に瞬を選んだのももっともだと思った。きっと、瞬は氷河のように浅ましい感情を持て余したりしたことはないのだろう。
「じゃあ、また朝に。みんなが押しかける前に、それだけ手渡しておきたかったんだ。」
(4)サガミロ♀
花が咲いたのだという。
俺は十二宮の階段を黙々と上っていた。
双魚宮に足を踏み入れると、冬の朝の凛とした静寂を思い出す。
「これが、教皇の花?」
「…直接行って、聞いてみると良い。」
「わかった。」
「慶ぶが良い、ミロ。お前は私の実を結ぶ花となるのだ。」
教皇の指が頬をなぞった。ゆっくりと、真綿で首を絞められているかのような息苦しさを感じた。
パチン。鋼の音が響いた。
よりいっそう美しく咲き誇らせるため、不要なものとして切り落とすのだという。幼心に残酷だと思ったことを覚えている。
「私は、お前を見かけたことがあるよ。」
ミロには、幼少期の記憶がほとんどない。外部の人間には不思議に聞こえるだろうが、それをとりたてて問題に感じたこともなかった。聖域に仕えるものの大半は、事情があってやって来たものが大半だ。中には、口減らし同然に送り込まれるものもいるため、過去についてはよほどのことがない限り口にしない風潮が出来ていた。
(5)結婚が決闘に聴こえてえらいこっちゃな目に会うカノミロだったはず
確かに、我がことながら、運命的な出逢いだったとは思う。それは、否定できない。自らの罪に報いるため、あえてその身にスカーレットニードルを受けたカノンに、驚嘆を覚えたのは事実だ。
「ここにはもはや敵はおらん。ここにいるのはわが同志…その名も黄金聖闘士双子座のカノンだけよ。」
そう言った瞬間、カノンが滂沱の涙を流したことを覚えている。せっかくの美しいかんばせが台なしだ、と苦笑交じりに思ったことも。アテナの面前ということもあり、不得手な日本語を駆使しての会話だったが、誠心誠意尽くせば通じるものはあるのだと痛感した瞬間でもあった。
「ミ…ミロ…!!」
踵を返し、立ち去ろうとするミロへ、カノンが打ち震える声で告げた。
「…決闘してくれ!」
聖戦から半年たったあくる日、黄金聖衣をまとったミロは決然とした様子で双児宮へ向かっていた。カノンとの約束に応えるためである。
聖闘士同士の死闘は禁じられている。そもそも、聖戦の最中に決闘できるはずもない。しかし、聖戦が終わった暁には、命を賭して誠意を見せたカノンに敬意を払い、受けて立ってみても良いとは思った。
(カノンよ。このハーデスとの聖戦ではたぶん俺もお前も死ぬことになるだろう…いわばお互いわずかな時間を生き延びただけかもしれん…フッ。)
あのときの心境を言い表す
(6)ラダカノミ ってタイトルですが
海龍カノンは、黄金聖闘士ミロと冥闘士ラダマンティスと同じマンションで暮らしている。
何も事情を知らないものからしてみれば、立場も国籍も(幸か不幸か、カノンはミロと同じ「国生まれ」だが。)違うものが、それも華のない男三人が、同居などして辛くないのかと疑問に思うだろう。同じ趣味があるわけでもない。戦闘が趣味と言ってしまえれば良いのだが、あいにく、他の二人はカノンほど頭が柔らかくない。共通の話題と言えば、神々が急遽作り上げた協定を維持するために何をすべきか、くらいで、それにしても、根が怠惰に出来ているカノンにとっては退屈極まりない話題だ。
もともと、ハーデスやアテナ、それに、直属の上司であるポセイドンにしても、カノンの退屈を埋めるために協定を結んだわけではない。三人は選ばれるべくして選ばれ、それぞれの陣営の代表として、半ば質草、半ば監視役の立場で、この場に居るのである。
それを嫌というほど真剣に捉えているのが、根が真面目すぎるミロとハーデス様命のラダマンティスだった。しかし、どれほど任務を重要と受け止めていようと、聖闘士と冥闘士の確執は思う以上に深く、二人とは満更知らぬ仲でもないカノンが仲介役を買わざるをえなかったのである。言ってみれば、カノンはハーデスとアテナに仲互いをさせないための犠牲になったとも言える。己の袂を離れ、アテナに与したカノンへのポセイドンなりの罰なのだろう。
(7)ラダカノミロ ってタイトルでR18っぽいですが
ラダマンティスは苦虫を噛み潰した顔で差し出されたウゾを呷った。場所は、海底に在るアトランティス文明の残骸。つまり、ポセイドンの支配下である。そのような敵陣営で前後不覚になる程酒を嗜むのは愚かなことと承知してはいたが、どうにもやりきれない思いがラダマンティスを酒に駆らせていた。
アテナ、ハーデス、ポセイドンの間で協定が結ばれたのは半年前のことだ。アテナとハーデスの何千年にも及ぶ不毛な争いにポセイドンが調停を申し出た形だった。ポセイドンにしても地上の覇権を争う陣営の一つである。その神が調停を買って出たことでまたぞろあの偽の海龍に何事か吹き込まれたらしいと噂が立ったが、当のポセイドンも海龍もどこ吹く風とばかりに素知らぬ顔でいたため、こうして三国間協議が成立したのだった。この協議は、いずれかの陣営が不意を突いて約定を違えない限り、続けられるらしい。
それは、良い。ハーデスを無二の主と仰ぐラダマンティスにしてみれば、主君の決断に口を挟むつもりはないのだから、右を向けと言われれば右を向くだけである。ラダマンティスはミーノスのように内心不満を抱くでもなく、アイアコスのようにパンドラへ噛みつくこともなしに、唯々諾々と協議の場――かつてポセイドンの力を手に入れるため当時のパンドラと訪れた海底の国へ派遣された。それが、3ヶ月前のこと。
250年ほど前に訪れた場所は相も変わらず湿っぽく黴臭く思われたが、それもどうでも良い話だ。問題は、ハーデスの信頼に応えることが出来るか否か、与えられた任務をやり遂げられるか否か。それだけである。
ラダマンティスは武勲で慣らした男であるため政治的手腕というものはなきに等しく、武骨なあまり人間関係の構築も極めて下手だったが、ハーデスから篤く信を寄せられているのだと思えば、元敵の輩とも親しく付き合う心づもりではいたのだが。
いささか、難航気味だった。
いや、ポセイドン陣営から派遣された海龍カノンとは、それでもわりかし親しくやっているのだ。何度かこうして酒を交わす程度には。
ラダマンティスは腹の読めない、どこか面白がった笑みを湛えているカノンをちらりと一瞥した。武勲に重きを置くラダマンティスは、双子座の黄金聖衣なしで、しかも地の利が己に在る冥界で互角に張り合ったカノンを高く買っていた。何を考えているのかわからないところが不気味に感じられることもあるが、ミーノスの比ではないのでさほど気にかけたことも「なかった」。
そう、それは過去の話で、今は気にかかるのである。何故ならば、冥界からの使者をラダマンティスにするよう指定したのは眼前の男だと聞き及んだからだ。策を弄されるのは好きではない。それが、厄介な状況に巻き込まれつつあると自覚すればなおさらである。
「お前たちのことを、アテナとポセイドンは承知されているのか?」
不意に沈黙を破った言葉に、カノンが口端の笑みを深くしてウゾの酒瓶を傾けた。ラダマンティスは注がれた酒を再び一息に呷ってから、いささか焦点の定まらない座り気味の目でカノンを睨みつけた。
「答えないということは、知らないのだな?お前という男は…そのような面倒に巻き込まれる俺の身にもなってみろ。」
予想外に声色に苛立ちが籠ったが、それも仕方のない話だろう。ラダマンティスはカノンからウゾの瓶をひったくると、並々とグラスに注いだ。アルコール度数の高い酒で、本来はこのように生のまま呷るべきではないとわかってはいるのだが、どうにもやりきれない思いが強かった。
「何故、俺がお前を巻き込んだと思う?」
笑いながらカノンが言う。ラダマンディスは憤懣やるかたなく吐き捨てた。
「知らん。あえて知ろうとも思わん。」
「まあ、そう言うな。それは、お前が、俺が唯一認めた男だからだ。」
「唯一?笑わせてくれるな。ミロはどうした。まさか、認めておらんとは言わせんぞ。」
「ミロは恋人だ。恋人と友を同列に置くつもりはない。」
夜ごと響くあられもない悲鳴や、ミロの肢体の端々に残された痕から推察してはいたが、改めて現実を突きつけられると思いの外堪えた。まんじりともせず黙りこむラダマンティスの方へ、身を乗り出したカノンが笑った。自嘲にほど近い、事の成り行きを皮肉がる笑みだった。
「自覚がないだろうから教えてやるが、お前がミロを見つめるときの熱っぽさと来たらどうだ。やつは馬鹿だからガンを飛ばされているのだと勘違いしているが、傍から見たら誤解しようのない熱視線だぞ?」
「答える義務はない。」
「別に答えてもらう必要もない。見ればわかる。」
ラダマンティスはギリリと奥歯を噛み締めた。
カノンの言うことは正しい。自分が欲情の眼差しをあの黄金の蠍へ向けている自覚はあった。恋人に散々弄られたと思しき痣や噛み痕を目にするたび、それをつけたのが自分であったなら、と暴力的な衝動に突き動かされ、何度手を伸ばしかけたことか。この三巨頭が一人、天猛星の翼竜、ラダマンティスがである。まったく、お笑い草ではないか。笑うに笑えない。
そもそも、ハーデスのために生涯を捧げると誓っているラダマンティスが他人に心を許したのは一度きり、前回の聖戦の折である。きっかけは、目の前で可笑しそうに笑っている男と同じだ。激烈な蠍の猛毒、未だ興奮さめやらない真紅の衝撃。そして、浮かされるばかりの高熱。実に愚かしい話だが、あのとき、ラダマンティスは恋に落ちたのだった。出会い頭の事故のような不本意な感情と、思いがけず胸を突く愚かな感傷に、どれほど辛酸を舐めさせられたことか。返す返す、忌々しい小虫だ。
カノンとラダマンディスの現在を分かつのは、その感情を認め、相手の哀れみを乞うたか否か、それだけである。聖戦が終結すると、一時的に双子座の黄金聖闘士となっていたカノンは海龍の海闘士に戻り、いつか想い人と謳歌する日を夢見て神々に協定を結ばせ、蠍の心臓を射止めた。おそらく、プライドもへったくれもなかったに違いない。
一方、ラダマンティスはといえば、何もしなかった。生まれ変わった現在の蠍にかつての記憶がないことを知りながら、前世と今生は別物だと理解しながらも、未練がましく思いを寄せる自分がラダマンティスには許せなかった。だから、この3ヶ月間、ラダマンティスはカノンのあからさまな誘惑を気づかないふりをした。戦士としての腕前はまだしも、まだまだ年若く人を疑うことを知らない蠍が、神をも誑かした男に丸めこまれて落とされていくさまを黙認していた。
それもこれも、自分には関係のないことだと思っていたからだ。自分には関係のないことだと、思いこもうとしていたからだ。
カノンの率直な意見に、さしものラダマンティスも嘆息をこぼした。
「…それほど、俺は見え透いているか?」
「明け透けすぎるほどにな。そういうところも、俺は、嫌いではない。」
とっさに、お前に好かれようとは思っておらん、と返しそうになったが、嘘を突くのは本意ではない。鼻を鳴らすに留めるラダマンティスの様子に、カノンは楽しそうに青い目を煌めかせると、長い足を組み換えて笑みを浮かべた。
「ラダマンティス、お前、男を抱いたことはあるか?」
唐突な問いかけだった。ラダマンティスは眉間にしわを寄せ、眼前の男の思惑がわからない不安に駆られながら、不機嫌に言い返した。
「ふざけるな。あるわけなかろう。」
「俺もやつと出逢うまではそう思っていたんだがな、これが意外と具合が良い。慣れれば、女よりよっぽど良いくらいだ。男同士、互いにどこが良いか知りつくしているからだろう。」
「それがどうした。勝手に言っていろ。俺には関係ない。」
「まあ、そう言うな。なあ、一度くらい抱いてみたいと思わんか?」
思いがけない提案にラダマンティスは絶句しかけたが、生来の負けん気が勝った。ラダマンティスはにやにや人を食ったような笑みを浮かべているカノンはどうせ本気ではないのだと判断すると、勢いよくグラスをテーブルに叩きつけた。元来、短気でプライドも高い方だ。面目を潰され、おめおめ黙っておられる性質ではない。
憤然と立ち上がり眼光鋭く睨みつけるラダマンティスの反応をまるで予期してかのように、あるいは元より挑発であったなら予期してしかるべきなのだが、カノンは笑みを湛えたまま怒髪天を突く勢いの男を見上げた。
「そんなにかっかすると足に来るぞ?だいぶ呑んでいたからな。」
「ふざけるな!俺は、」
そこで、ラダマンティスは異変に気づいた。殺気とは言い難いが、異変に項の毛が粟立っている。状況を把握するためとっさに振り向こうとした体は傾いで、背中から地面へ倒れ込んだ。痺れたように身体が動かない。ラダマンティスははじめて、心の底から、敵陣営に踏みこんでおきながら警戒を怠った己を怨んだ。
「そら、言っただろう。」
すげなく言うカノンの声には、僅かに意地の悪い嘲笑が滲んでいる。ラダマンティスは立腹した。
「貴様、何をした…!」
「俺は何もしていない。やったのはやつだ。」
動かない体に苛立ちながらも顎をしゃくってみせたカノンの先を目で追うと、一時的に聖域へ帰還しているはずのミロが立っていた。ミロは呆れ顔で両者を交互に見やり、ラダマンティスへ憐憫の視線を投げかけた後、満足そうに笑っているカノンを睨んだ。
「まさか本当にリストリクションが効くとは…カノンよ、ラダマンティスにどれだけ呑ませたのだ?」
「呑ませておらん。言いがかりは止せ。やつが勝手に呑んだのだ。」
ふふんと得意げに笑うカノンへ再度呆れの眼差しを向けたミロは、一転して険しい顔つきになると、床に倒れ伏しているラダマンティスの眼前で仁王立ちしてみせた。
「…聖域へ帰るふりをしてみれば、すぐさまこれだ。カノンが言ったことは本当だったのだな。」
空色の目に浮かぶのは紛れもない鮮やかな憤激だったが、かつて一度目にした、真紅の希望と愉悦に満ちたあの目に似ていた。自らの心臓が発する熱に耐えきれず死んだ蠍と、眼前の蠍に似通ったところなどほとんどない。魂こそ同じで外形も似ているが、生まれ育った環境に因るものか、髪色や目の色も、内包する性格も、何もかもが違っている。だからこそ、伸ばしかけた手を下ろし、カノンの好きにやらせていたというのに――ラダマンティスの胸中に、微かな悔恨と紛れもない欲情が翻った。ずくりと下半身に熱が籠った。
無意識のうちにわいた唾を嚥下するラダマンティスを見下ろし、ミロが形の良い唇を噛み締めた。
「ラダマンティス、お前が誰に秋波を向けようとどうでも良いが、その「誰か」がカノンとなれば話は別だ。良いか、よく聞け。カノンは俺のものだ。お前に、カノンはくれてやらん。」
己の勘違いなど疑ってもみない、噛みつくような口ぶりだった。視界の端で、首謀者がくつくつと笑っている。ラダマンティスは呆気にとられ、何と答えるべきか皆目見当がつかなかった。まったく予想だにしてみない誤解だった。まさか、この翼竜がミロのいない隙に他人の男を寝取るような姑息な男に見えたのだろうか。いや、見えたからこそ、この状況なのだ。
片腹痛い誤解ではあったが、人間関係の構築が苦手なラダマンティスにしてみれば、これ以上ないほどややこしい状況だった。ラダマンティスはカノンに秋波を送っているのではない。ミロを欲情の対象として見ているのだ。それを説明してミロの厄介な疑念を晴らせば、自分ですら終ぞ認めようとしなかった恋情を認めることになる。
窮地に立たされたラダマンティスの胸倉を勢いよくミロが掴みあげた。正々堂々を良しとするミロにしては腑に落ちない行動だが、一発殴られて済むのであればそれも良いだろう。ラダマンティスが腹を括ると、その身体を乱暴に引き寄せたミロが勢いよく噛みついて来た。がり、という小さな音と共に鉄臭さが広がった。
唇に歯を立てられたのだと気付いたのは、ミロが自分の唇に付着した血を舐めとり、挑戦的な目でカノンを見やったときだった。
「カノンはお前が性欲を持て余しているだけなのだと弁明していたが、俺は誤魔化されないぞ。お前にカノンをくれてやるつもりはない。お前だけではない、誰にも、だ。だが、本当に性欲を持て余しているだけなのであれば、俺が発散させてやる。」
ちらりとミロの視線が下半身へ向けられる。ラダマンティスは先ほどから膨らんだままのものに顔から火を吹く思いがした。しかし、であればこそ、ミロは勘違いの末に妥協案を提示しようとしているのだ。
「お前のそれは、好きにさせてやる、というスタンスではないがな。」
傍観を決め込んだ元凶がからかう。
「うるさいぞ、カノン。揶揄するな。元はと言えば、お前が言い出したことだろう。」
ミロは顔をしかめてみせてから、自由の効かないラダマンティスの身体を床に押しつけ、腹の上へ跨った。眼には奇妙なかげろいがあった。リストリクションという技を発動しているせいかもしれないし、動物的な本能で自分より体格の良い雄を組み伏せる状況に興奮しているのかもしれなかった。
*
まるで獲物を捉えた肉食獣さながらに唇を湿らせると、ミロはこぼれる色香とは裏腹な無頓着さでラダマンティスの服を剥いでいった。空色の目が欲情に濡れ、藍に近くなる。ミロの変容は、ラダマンティスにとって、田園を照らす穏やかな太陽が、砂漠で見せつける無情な顔を晒したような驚きがあった。灼熱の太陽、否、真紅のアンタレスだ。
そうしてみると、現代の蠍は思いの外あの小虫に似ていた。癪なことに。
ラダマンティスが残したウゾのグラスを傾けながら高みの見物を決め込んでいるカノンは、わかっていて、ミロをけしかけたに違いない。
スラックスのファスナーを押し下げて下着をくつろげると、解放されたものが弾かれたように飛び出した。自慢ではないが、ラダマンティスのものはかなり大きい。標準時ですら女が躊躇するサイズだというのに、眼前の蠍にひどく昂揚している現在、強張ったそれは女の手首ほどの太さになっていた。
一瞬、その目が丸く見開かれたのを見るに、ミロもずいぶん度肝を抜かれたらしい。だが、やはりあの蠍の生まれ変わりということか、気位の高さを見せるようにつんと顎を上向けると、臆した事実を隠ぺいするように、ラダマンティスのものへ触れた。なめらかな肌の感触に、ずくんと痛みが走る。
小癪な技さえかけられていなければ、さっさと理性を手放し、蠍の肢体を揺さぶることに専念するのだが。
しばらく、ミロはどうしたものか判断に窮した様子で、手持無沙汰に、血管の浮き上がった幹や早くも先走りで濡れている先端を撫で擦ったりした。
ラダマンティスの理性を試すように、ちろりと蠍の舌が這わされる。表皮が火で舐めたように熱くなった。だが、あの身のうちから焼きつくす真紅の灼熱には程遠い。
いつも、こんな風なのか。くるくる目まぐるしく変わる目の色は見ていて飽きないと思いながら、ラダマンティスは恋人の好きにさせているカノンを見やった。
(8)カジノ ってタイトルのカノミロ
任務は簡易なものだった。もっとも、聖戦が終わってから困難な任務など滅多にない。
カミュと連れ立って教皇宮へ報告に向かったミロは、双児宮の前でわずかに歩調を乱れさせた。双児宮の新しい主の小宇宙を感じたからだ。記憶では、しばらく海に潜っているという話だったのだが、意外と早い帰還だったらしい。聖闘士同様、海闘士も煩雑な事後処理に追われているはずなので、海龍も兼任しているやつはさぞ多忙だろうと高をくくっていたミロにしてみれば、手痛い思い込みだった。
「…カノンが戻っているようだな。」
一瞬立ち止まり、緊張にすこし顎を引くミロを、カミュはいぶかるように見つめた。その視線を痛いほど感じながら、ミロはちいさく頷いてみせた。
長い付き合いだ。かけがえのない親友でもある。当然、カミュは、ミロがカノンに警戒心を抱いている事実に気づいているだろう。だが、誰より先にカノンを黄金聖闘士として認めたのはミロだ。しがらみに縛られやすいカミュやシュラならばいざ知らず、情に篤く、一度こうと決めたら意思を変えないミロが、それでもなおカノンを警戒する理由など見当もつかないに違いない。
ミロ自身、自分らしくないという気持ちはあった。白黒割り切りたいという願望や正義への熱望は人一倍強かったし、カミュにだけは、何でも腹蔵なく話してきたつもりだ。こうしてやましい秘密を抱え込むつもりなどまったくなかった。
あの日までは。
いつの間にか、手のひらに汗を掻いている。ミロは不満から拳を握り締めると、もの問うカミュの眼差しを無視して歩き出した。
「行こう。サガが待っている。」
すこし語気が強まった台詞に、内心、ミロは顔をしかめた。これでは、緊張を嗅ぎ取ってくれとカミュに言っているようなものだ。だが、カミュがミロの動揺を指摘することはなかった。ミロはそれをありがたいと思った。
幸いにも宮の主が姿を見せることはなく、ミロは胸を撫で下ろした。もともと、双児宮は十二宮の中でもかなり特殊な部類に位置し、主が不在のときでも、小宇宙の残滓が色濃く残っていることがあった。きっと、まだ海底に留まっているのだ。そう思うと、厳しかった顔つきが自然と綻んだ。
そのとき、不意にカミュが口を開いた。
「そういえば、お前と一緒に任務に出るのもずいぶん久しぶりのことだな。ブルーグラード以来か。」
「…そんなになるか?」
「ああ。あの後、私はすぐにシベリアへ追いやられたから、よく覚えている。」
何気ない一言だったが、カミュの真意がわからず、ミロは恐怖に駆られた。聡明なカミュは何か嗅ぎ取ったのだろうか。
「カノン、戻っていたのか。」
「ああ。つい今しがた戻ってきて、サガに帰還報告をしてきたところだ。」
「思ったより早く済んだのだな。」
「もともと、聖域に比べれば、混乱していないからな。残務処理も、たいしたことはない。」
カノンの燃える眼を見た途端、ミロの脳裏に悪夢が蘇えった。
乱暴な手つき、高まる体温。無理矢理身体を暴かれた夜も、カノンはこんな眼差しでミロを見つめた。無造作にぶちまけられた快感は、悪意に彩られ、暴力そのものだった。両手は頭上で束ねられ、不甲斐ない自分への腹立ちに悔し涙がこぼれた。何より、最後には興じた自分が許せなかった。
不意に息苦しさに襲われ、ミロはカノンから顔を逸らした。項が粟立っているのがわかる。
あの悪夢から立ち直るのに、5年もかかった。20歳の若造にとって、5年の月日は驚くほど長い時間だ。
聖戦を経て、ミロはカノンの実力のほどを知った。確かに、カノンは黄金聖闘士の中でも一二を争う実力の持ち主かもしれないが、あの日感じたような圧倒的な強さはない。ミロ自身、鍛錬に励んだこともあり、あの頃とは比べようもないほど成長している。もう、悪夢に怯える年頃でもない。
それでも、カノンを前にすると恐怖に駆られるのは、またあの日のように見境なく求めてしまう可能性を感じるせいだ。
それが、ミロには腹立たしかった。
わざわざ蒸し返されても困るが、話題にならないのも釈然としない。あの日の出来事はそういったたぐいだ。ミロにとって、人生ががらりと変わるほどの衝撃的な事件だったが、カノンにとってどうであったかなど、わかる由もない。再会してから今日まで、あの件を話しあったことは一度もなかった。ミロとしては、これからもないことを願うばかりだ。
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